吃音の謎、大人になって言えること

吃音の謎

吃音について、いまだに謎だと思うことがあります。それは、「トレーニングをしたら吃音が治るのか」ということ。最近になって、当ブログを開設してから、いろいろとSNSやGoogle検索などしていますが、「トレーニングをして吃音が治った」という発信をあまり見たことがありません。特にTwitterで。

どちらかというと、完治(「治す」っていう言葉が入るのは個人的にはよい感じではしないですが)していないけど、自分自身の吃音を肯定している人、受け入れた人が、吃音に対する意識が変わって、吃音の症状がよくなった、世界が変わった、という人が多い、イメージです。私も同意見で、吃音に対する憎い気持ちを受け入れられてから、大きく変わりました。

吃音を治療・克服・改善するにはトレーニングが必要?

私も以前、吃音のトレーニング(腹式呼吸など)を受けたことがありましたが、続かず、特に変わらなかったんですよね。もっと続ければ変わったかもしれませんが、やっぱり吃音って波があるじゃないですか。うまく言える日と言えない日。トレーニングをしても、その波をコントロールすることができませんでした

よく、「歌を歌うときはどもらないから、その感じで・・」なんて意見がありますが、そんなの吃音の人はみんな当然のようにわかっていると思います。私も学生時代、ひどかったときから歌を歌っているときにどもったことはありません(セリフ部分は別ですが)。抑揚をつけるやら、ゆっくり話すやら、腹式呼吸も含めて、トレーニングに効果が本当にあるかは疑問です。

それなら、外的要因のストレスを減らすために、環境を変える方がよいと思います。外的要因のストレスは変えられますからね。人に打ち明けることでどもってもそこまで気にしなくてよい環境にする、フォローしてもらう環境にする、など。ストレス負荷がかかっているときは吃音の波が悪くなることが多かったので、トレーニングをして克服!というよりは、現実的な気がします。

吃音を個性だと受け入れるまでは変わらなかった私

以前のブログ「吃音とストレスの関連性について」でも触れましたが、内的要因のストレス(性格などによるもの)は簡単には変えられません。私は吃音を個性だと受け入れているので、個性をすぐに矯正することなんてできない、すなわちトレーニングをしても個性を変えられるものではない、というのが意見です(あくまで私の意見で、否定しているわけではありません)。

逆に、特に吃音克服のトレーニングをしなくても、自身の吃音が肯定できたとき、自身の吃音を受け入れられてから、私は変わりました。吃音にたいして、どもることにたいして、そこまで気にしなくなりました。他人に吃音を打ち明けられるようになりました。言いにくい言いにくい言葉があっても、どもることはあっても、自然と一呼吸おいて話すことができるようになりました。

大人になって言えること

学生時代。吃音をなんとか治せないか、克服できないか、改善できないか。吃音になって人生終わった。そうならないためにもなんとかしないと・・・。そんなことばかり、考えていました。でも、結局、大きくは変わらなかったです。ネットでいろいろ調べていると、「子供の頃に吃音になっていても大人になると自然と治癒(治すという言葉は嫌いですが)する」とよく目にしますが、本当?

「治癒する」というよりは、吃音を受け入れられたから。吃音を気にしなくなったから。それで自然とどもることがなくなったんじゃないの?もしくは、どもっても全然気にしないくらい自分がタフになったとかじゃないのかと思います。ということは、私は受け入れられたのが人より遅かったから。大人になって、20代後半になってからだった、というだけ。だからまだ「治癒」はしていないけど、症状がだいぶマシになったのかな、と思うのです。