先日、イベントの受付を担当することに
先日、とあるイベントにて受付を担当することになりました。そこで、先に担当されている方から、簡単にオペレートを教えらもらうことになりました。内容としては、受付に来られたお客様に対しての対応です。その中で、久しぶりに「吃音」を意識することがありました。(とはいえ、いまだによく言葉をつっかえているのですが。)
オペレートの中で、言いにくい言葉が
「吃音」の方ならお分かりいただけると思うのですが、「言いにくい言葉」が出てきたのです。それは。「ご家族(ごかぞく)」という単語です。「うーん・・控えめに言ってもめっちゃ言いづらい!!」
「ご・かぞく(ごか・ぞく?)」みたいな感じでしか言えず、また周りの人に見られていると余計に人の目を気にしてしまい、緊張してしまって、オペレートの説明内容がところどころ頭に入ってこなくなるという始末。久しぶりに「吃音」をガチで意識しました。
「吃音」は克服するものではない
ずいぶんと「吃音」について、意識していなかったこともあり、何気なく上記の対応を引き受けたのですが、やっぱり自身のしゃべりづらさや、何より「吃音」をかなり意識してしまいました。コンプレックスとでもいうんですかね。そんな風に考えないようにはしていたのに。
ここで思ったことは、やっぱり「吃音」は克服するものではない、ということです。「吃音」に対して、「治った、治ってない」とか言っている時点で「吃音を克服できた、できていない」と言っているようなもので、そもそも人によっては死ぬまで「吃音」を意識するかもしれないじゃないですか。(私はもう25年以上は「吃音」を意識していますし、今後もそうだと思います)
「吃音」と共存していこう、個性だから
最近は、アメリカの大統領候補だったバイデンさんや有名なアメリカのアーティストであるエド・シーランさんなど、すっごい実力や才能の持ち主の方が、「実は吃音だった」という話を耳にすることがあります。
エド・シーラン「エミネムのおかげで吃音が治った」
https://www.barks.jp/news/?id=1000116545
本当にすごい人だって、「吃音」の経験があったからこそ気づけたこともありますし、まだ今でも「吃音」と共存して成功している人もいます。また、本当に少しずつだと思いますが、今「吃音」は認知されて行っているという感じがします。
私は今でこそかなり意識しなくなりましたが、今回の時みたいに、急に言いづらい言葉を言う必要が出てくると、テンパります。それは、もう。でも、それも個性だと思い、「吃音」と共存していくという考え方が大事だと思います。